こんにちは!ヨッくんです。
今日は私が小学6年生の頃の思い出話で、
少年野球チームに入団してから初めて優勝したときの話です
前回までの記事はこちら⤵です、よかったらどうぞ!!
ついに猛練習の成果が結実した大会!?
あれは夏の大会と最後の冬の大会の間にあった
秋の大会のことです
秋の大会では、最初にサッカーのワールドカップのように、
まずは予選リーグに別れて戦いました
もうはっきりとは覚えていませんが、
1リーグあたり4~5チームで
4グループはあったかと思います
各グループで上位2チームが
決勝トーナメントに出場でき、
そこで優勝をかけて対戦します
しかし残念ながら私のチームは、
予選リーグで敗退してしまい、
決勝トーナメントには進めませんでした
が、しかし!?
この秋の大会では、
予選リーグで敗退したらそこで終わりではなく
なんと敗退チームだけを集めた
裏トーナメントがあったんです!!(笑)
オリンピックの敗者復活戦のように、
もう表舞台(決勝トーナメント)には戻れませんが
引き続き公式戦ができたんですよ
私の代は、常勝軍団だった1つ上の先輩たちとは違い
とにかく優勝争いとは縁のなかったチームでした
春の大会からずっーと1回戦敗退が続き
公式戦でチーム初勝利をあげたのは
この秋の大会の予選リーグが初めてでした
しかも1勝をあげただけでしたね(悲)
でも大会を重ねるごとに確実に
チーム力は上がっていき
同じ負けでも接戦の末での敗戦でした
チームのエースは4年生の子でしたが、
私を含めバックの上級生の守備陣がよく守り、
打撃力よりも守備力で勝負するタイプのチームでした
決勝戦の最終回はあっけない幕切れ!!
裏トーナメントでは
その守備力を活かし接戦のすえですが
1回戦、2回戦と粘り勝ちをし
つ、ついに決勝戦という初めての舞台に
たどり着くことができました
私にとっては、野球というスポーツを
始めてから初の大舞台です!!(裏舞台ですがね・・・)
決勝戦も最後の最後まで接戦でしたよ~
お互い堅守のチームでロースコアの同点のまま
最終イニングまで行き、私のチームは裏攻めだったんで
ツーアウトでしたがランナーが3塁まで行き
1打サヨナラ勝利の場面をむかえました!?
相手チームの投手は、後日、
中学野球でチームメイトになる子だったんですが
そこそこ球威のある速球(ストレート)を投げていましたんで、
これは延長戦もあり得るぞ~との思いも正直ありました
かなり緊迫した場面でした
しかし
な、なんと”サヨナラボーク”というあっけない形の
幕切れで決勝点が入り私のチームは
初の”優勝”をしてしまったんです!!
サヨナラボークとは、野球の試合におけるサヨナラゲームの一類系の通称 。最終回または延長回の裏に同点かつ走者が三塁にいるとき、守備側がボーク(反則)を取られることにより三塁走者が進塁・得点し決勝点が入り成立する類型。byウィキペディア(Wikipedia)
ちなみに、私の大好きな漫画・アニメ”メジャー”の
主人公の”茂野吾郎”も、高校野球編で熾烈(しれつ)を
極めた海堂戦で同じ負け方をしていましたね
私の決勝戦のほうは”茂野吾郎”のように
相手投手はぶっ倒れてはいませんが
むしろ実際のリアル試合であったのが
1998年8月16日に甲子園球場で行われた第80回全国高等学校野球選手権大会2回戦、愛知県代表・豊田大谷と山口県代表・宇部商の試合の延長15回裏のサヨナラボークが超有名ですが
まさにあんな感じでのゲーム終了でした・・・
ちょっとした一瞬の動作がボーク(反則)となり
その後の明暗を分けました
相手チームの投手の子は、それはもうボロボロと
涙を流して泣き崩れてしまいましたよ
野球における”投手(ピッチャー)”というポジションの
責任の重大さが痛感させられた試合でした
なんだか相手投手の気持ちを考えると・・・
せめてサヨナラヒットとかで勝利が決まると
素直に喜べたんですけどね
しかし裏トーナメントとはいえ”優勝”には変わりなかったんで
とにかく私のチームは歓喜しましたっ!!
オヤジ(おっかない監督のことです)もコーチ陣も、
私の代になってから、チーム初めての優勝だったんで
満足気な表情だったのを今でも覚えています
懐かし~なー
続く
んじゃ、おやごさんにヨロシクっ!!
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