こんにちは!ヨっくんです。
前回は私が少年野球チームに入ったばかりの頃の話でしたが
今回はその続きになります
前回までの記事はこちら⤵です、よかったらどうぞ!!
最上級生となり猛練習の始まり!!
当時小学5年生だった私の一つ上の先輩たちが引退して
いよいよ自分たちが最上級生となるわけですが
そうなるとものすご~く怖い熱血スパルタ監督から
直接指導を受けることになるわけですよ
なんと特訓初日のメニューは、ダッシュでの走り込みからでしたっ!!
うちの監督は監督のことを呼ぶとき「監督」とは呼ばせません
「オヤジ」と呼べ!!と指導されています
そのように呼ばないと「あ~?」っとなり
ノックバットが飛んできます(泣)
初日はダッシュする前に「オヤジ(監督のことね)のバカヤロー!!」と
大声で叫ばせてから小学校の校庭の端から端までを
何往復も猛ダッシュさせられました
周りに関係ない人達もいるなか
そんなことを叫んで走るなんて
今思うとかなり恥ずかしいんですが
その当時はもう怖くて無我夢中でしたので
声をからしながら何度も何度も叫んで走っていましたっけ
それが終わると次はキャッチャーの防具一式(レガース)を
装備させての高速ノックの嵐が待っていました(泣)
メチャクチャ早いゴロの鬼打球が飛んでくるので
ほとんど捕球はできませんが
そんなのお構いなしで次々に球が飛んできます(まるで戦場のよう)
ノックの順番待ちをしていた私もそうですが、
チームメイトのみんなも恐怖で顔が引きつっていましたよ
このときはまだ硬式ボールを使ったことがなかったけど
ホントに軟式ボールでよかったと今では思います
極めつけは朝練の開始でした
校庭の都合で毎日ではなかったですが
早朝からたっぷりと地獄のノック三昧でした(泣)
朝練メニューはシートノック一択でしたっ、乙!!
私のポジションは一塁手(ファースト)に決定!!
最上級生となる頃には、私の守備ポジションは
ファーストに定まっていて内野陣として頑張っていましたよ
ファーストのレギュラーは友人Aと最後まで競っていたんですが
私のほうがあとから入ってきて取っちゃいました
「スマン友よ!!」
友人Aは外野手にコンバートです
私は自分で言うのもあれですが
そこそこの運動神経(=身体能力)があって身長も高かったので
内野手から高めの暴投になりそうな送球が来ても
ピョーンってジャンプしてかなり捕れちゃったんです(笑)
漫画スラムダンクのリバウンド王
桜木花道までとは行きませんが”ピョーン”ってね!!
あと、小学生にしては体がデカかったので
送球でショートバウンドとかの球が来ても
「体張って根性で止めろっ!!」って
オヤジ(監督)に厳しく指導されていました
中途半端なバウンドの送球を
少しでも後ろに逸らそうものならオヤジのゲンコツが容赦なく飛んできます
なので必死に止めにかかりました(汗)←実際に何発もくらっています
今ではそんなスパルタ指導をしてたら親などが黙ってないんでしょうが
当時は特に問題にはなりませんでしたね
時代の移り変わりって凄まじい速さですよね
当時の常識が今では通用しなくなる
仕事の世界も一緒ですよね
あなたもそんな経験ってしたことありませんか?
内野手の送球がたとえ暴投になっても後ろに球が行かないように
私は要するに的(マト)のデカイ壁役です(笑)
内野陣のチームメイトは私が体張ってたので
一塁への送球は多少は投げやすかったのではないかと
その点は自負しております、エッヘン!!
あ、そうそう、
あとピッチャーとしての投球練習も本格的に始めたころだったかと思います
続く
んじゃ、おやごさんにヨロシクっ!!
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