こんにちは!ヨッくんです。
今日はかなり重たい内容のお話です
そういった話は無理という方はスルーしてくださいね
公務員を辞めた理由 社会人になってから仲良くなった友人の死
今日は私の親友の命日となります
彼は今日のような12月の寒い冬の夜に亡くなりました
高い建物から飛び降り、自ら命を絶ったのです
彼と私は同期入省で年齢も同じでした
彼の出身は九州地方(福岡県)で、就職と同時に上京してきました
私も社会人になると親元を離れ自立したのと同じですね
彼は私の住んでいた公務員官舎の隣の官舎に住んでいました
私たちは新人研修で初めて出会ってからしばらくは、ただの同期仲間でした
そのうち彼の明るく人懐っこい性格のおかげで、私たちは徐々に打ち解け
お互いの部屋をよく行き交う仲になりました
彼はプライベートでは博多弁を多用していましたね
私にはそれまで九州方面の友達はいなかったので、
独特のイントネーションや意味が分からない方言が出てきて
そんな新鮮さもあってか、いろいろと楽しい会話をしました
外食にもよく一緒に行きました
彼は牛丼のすき家が大好きでした、ラーメン屋の山岡家も大好きでした
彼はとてもユーモアのある人でした
彼と話をしているとよく冗談や下ネタを言ってきて私を笑わせてくれました
彼はロックンロールが大好きで学生の頃からバンドをやっていました
彼は洋楽に詳しくてギターがすごく上手に弾けました
私は彼からの影響を受けてギターの練習を始めました
ある時私に付き添ってくれて、御茶ノ水までギブソンのギターを
買いに行ったのは今でも良き思い出の1つです
私は彼に少しでも追いつけるようギターの個人レッスンを受けるため
音楽スクールにも通うようになりました
彼は社会人になってからはドラムスもやるようになりました
私たちは職場メンバーでバンドを組みました
休みの日には職場の地下の機械室でおっきな音を出してよく練習をしましたね
そんな音楽好きな彼は、茶目っ気があり話をしていると
突然わざとシャウトなど突拍子もないことをして私を驚かせたりもしました
結局、バンドは人前では1回も曲を披露することなく終わっちゃいましたけどね・・・
公務員を辞めた理由 年々ひどくなっていった労働環境
そのうち彼は仕事に追い詰められていきました
私のほうも連日連夜ハードワークをしていましたが
その頃の私には大切な娘(長女)が誕生したばかりで
娘からたくさんの元気や勇気をもらうことで何とか乗り切れました
彼はハードワークで精神を病んで
長期療養するため実家(福岡県)に戻る直前に亡くなりました
私たちは別々の部署で働いていましたが
亡くなる少し前の日、定時過ぎに私のデスクまで会いに来てくれました
その時の私は、押し寄せてくる仕事と連日の残業で、頭の中がいっぱいでした
私は彼が苦しんでいることに気付けなかった・・・
むしろお互いなんとか頑張ろうぜと励まして別れてしまった
彼の時間は27歳という若さで止まりました
彼の死は、”病気療養中に亡くなった”と簡潔に書かれた文章で
職場内には周知され、葬儀は関東地方で行われました
彼の両親とはその日に初めて会いましたが、
どんな思いだったのでしょうか・・・
私もちょうど親になったばかりの頃でしたので
愛しい我が子が自分よりも先に亡くなる辛さは
言葉では到底表すことなどできません
そして葬儀が終わり周りは何事もなかったかのように
あわただしい毎日が訪れました
あれ??この組織は何かおかしいぞ?と
私が違和感を覚えたのはその時でした
仕事に追い詰められて、自ら命を絶った者がいた事実を無かったことにするのか?
彼の死の意味はなんだったのか?
それまでにも明らかに人員不足と思えるような業務体制を強(し)いてきて
それは増々ひどくなっていきました
その後も労働環境を改善する気配はなく年々ひどくなり、
職場内で彼のように精神を病む人は増えていきました
公的機関の働き手である公務員が
”人の命を軽視するような働かせ方”を平気でさせる国?社会?って、いったい??
ああ~、これがこの国・社会の正体なんだな~と私は深く失望しました
表面上は耳当たりのよい響きの良い言葉を並べ立てて、
都合の悪いところは見なかったことにして・・・
私はまだ漠然とですが、この職場に長く居てはいけない、離れなくては、
と思いはじめていました
当時の私には大切な娘(長女)が誕生したばかりでしたので
すぐにというわけにはいかないのは重々承知していましたが
ついに数年前、辞めました
彼の死から今日までギターを弾いたことは1度もありません